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東京地方裁判所 平成6年(ワ)18552号 判決

原告

桂勝則

被告

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

矢吹雄太郎

外一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告は原告に対し、金二二一万〇六五七円及びこれに対する平成六年九月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  判断の基礎となる事実

1  原告は、平成三年八月三〇日、藤栄曻次(以下「訴外人」という。)及び藤栄孝(以下「保証人」という。)を相手方として、宇都宮簡易裁判所に調停の申立てをし(同庁平成三年(ノ)第四一七号事件。以下、この事件を「本件調停事件」という。)、同年九月二〇日、調停が成立し、調停調書が作成された。

右調停調書の第四項には、訴外人は同人の三菱銀行吉祥寺支店及び東京中央信用組合の普通預金口座の預金の払戻請求権を平成三年九月末日限り原告に譲渡し、原告が預金の払戻しをすることを認める旨の条項がある。

2  原告は、その後右預金の払戻請求をしたが、東京中央信用組合の預金の本件調停成立時の残高一四〇万一三八三円のうち、一一〇万四九八五円については、同信用組合が相殺権を行使したため、払戻しを受けることができなかった。

3  原告は、平成四年七月九日、訴外人を相手方として、再度、宇都宮簡易裁判所に調停の申立てをしたが、同年八月二七日、これを取り下げた。

4  原告は、平成四年九月一七日、訴外人及び保証人を被告とする調停無効確認請求訴訟(以下「本件無効確認事件」という。)並びに訴外人を被告とする損害賠償請求訴訟(以下「本件損害賠償事件」という。)を宇都宮地方裁判所に提起した。その後、同年一一月三〇日、原告は本件無効確認事件の訴えを取り下げた。

5  本件損害賠償事件については、平成五年一一月二九日、原告の請求を棄却する旨の判決が言い渡された。原告は右判決を不服として、東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は、平成六年八月三〇日、控訴棄却の判決を言い渡し、右判決は同年九月一四日確定した。

(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認めることができる。)

二  原告の主張

1  本件調停事件、本件無効確認事件及び本件損害賠償事件に関わった裁判所の関係者には次のような過失があり、その過失行為は公権力の行使についてなされたものであるから、被告は右行為によって原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

(一) 本件調停事件の調停条項第一項には、訴外人は原告に対し、本件紛争解決金として一〇〇万円の支払義務のあることを認めるとの記載があるが、原告と訴外人との間で妥結した解決金の総額は三三九万九二五〇円であり、したがって、右条項は、本件紛争解決金の直下に「の一部」が欠落していたことになる。本件調停事件の関係者は、調停条項中に右妥結総額の記載及び「の一部」の記載を怠り、あたかも妥結金額が一〇〇万円であったかのような誤解を招いたものであり、このことは重大な過失といえる。

(二) 本件調停事件の担当裁判官及び調停委員は、調停条項第四項を作成するに際し、譲渡された預金の残高(三菱銀行吉祥寺支店につき九九万七八六七円、東京中央信用組合につき一四〇万一三八三円)を記載すべきであるのに、その記載を怠ったものであり、これは初歩的で重大な調書作成上の過失である。

(三) 本件調停事件の担当裁判官は、「この預金通帳と調書を銀行に持参すれば預金は払戻しできる。」と言明したにもかかわらず、銀行及び信用金庫において、書類不備との理由で双方の預金とも払戻しが不能となった。右裁判官には、銀行側の要求した譲渡証明書を作成するような内容の調停条項の作成を怠った過失がある。

(四) 本件無効確認事件及び本件損害賠償事件の担当裁判官は、原告に対し、「相殺されたお金だけ戻ればよいのではないか。賠償請求額はその金額にすべきではないか。調停無効の訴えを取り下げて、賠償請求一本にしたらどうか。」と勧告した。そこで、原告はこれに従い、本件無効確認事件の訴えを取り下げ、本件損害賠償事件の請求額を減縮した。

しかし、このことが自動的に争点を変えてしまい、地裁、高裁での原告敗訴につながったことは明白であり、審理を尽くして正当な裁判を受ける国民の権利を侵害したものである。

2  原告に生じた損害は、次のとおりである。

(一) 相殺分及び利息

一二七万〇七三三円

(二) 裁判に要した実費等

四五万九九二四円

(三) 慰謝料 四八万円

三  争点

1  本件調停事件の担当裁判官及び調停委員の過失の有無

2  本件無効確認事件及び本件損害賠償事件の担当裁判官の過失の有無

3  原告主張の損害の有無

第三  争点に対する判断

一  本件調停事件の担当裁判官及び調停委員の過失の有無について

1  原告は、本件調停事件の担当裁判官及び調停委員は調停条項作成に際し、譲渡された預金の妥結総額及び調停成立時の残高の記載をせず、また、預金債権の譲渡証明書を作成するような内容の調停条項の作成を怠った過失がある旨主張する。

2  ところで、民事調停手続は、国民の民事関係の紛争について、当事者の互譲により解決を図るために法律によって設けられた司法手続であり、調停委員会を構成する裁判官及び調停委員は、当事者の互譲による紛争の解決のあっせんに当たる任務を負っている。右調停委員会のあっせんにより、その調停手続において当事者間に合意が成立して調停調書が作成された以上、その条項の内容に異議のある当事者は、調停無効確認訴訟その他の当該調停条項を争う手続に従った不服の申立てをすべきものである。このような不服申立てとは別に、当該調停条項について別途の記載をすべきであった旨を主張して、当該調停担当裁判官ないし調停委員の過失を理由に国家賠償の請求をすることは、当該裁判官ないし調停委員が当事者に損害を加える目的で、偽計又は強迫により当該調停を成立させたなど、当該調停が実質的に見て司法機関のあっせんによる紛争解決であると認めることのできない特別の事情がない限り、許されないものというべきである。調停委員会によるあっせんにより合意が成立した後に、別途の合意を成立させるべき注意義務を怠ったことを理由とする国家賠償の請求を一般的に認めることとすれば、後の国家賠償請求訴訟において、先の民事調停事件におけるあるべき合意の内容は何であったかを議論することが一般的に許されることとなり、当該民事調停事件の調停委員会を構成する裁判官及び調停委員がその事件のあるべき紛争解決方法を判断するという司法機関の独立の原則に反することとなるからである。

右見解に基づいて考えると、原告の前記1の主張は、当該調停について、実質的に見て司法機関のあっせんによる紛争解決であると認めることのできない特別の事情が存在するとの主張立証がないから、理由がないものというべきである。

3  のみならず、乙第一一及び第一二号証によれば、本件調停事件において、原告主張の調停条項を作成するのを相当とするような合意の成立その他の事情は存在しないことが認められるから、この点から見ても、原告の前記1の主張は理由がない。

二  本件無効確認事件及び本件損害賠償事件の担当裁判官の過失の有無

1  原告は、本件無効確認事件及び本件損害賠償事件の担当裁判官が原告に対し、本件無効確認事件の訴えの取下げと本件損害賠償事件の請求額の減縮の勧告をし、原告がこれに従ったことにより、右両事件の争点が変わってしまい、本件損害賠償事件の原告敗訴を招き、原告の裁判を受ける権利を侵害した旨主張する。

2  ところで、民事訴訟事件の審理を担当する裁判長(単独審理の場合の裁判官を含む。以下同じ。)は、釈明権及び訴訟指揮権を有し、自らの正当と考えるところに従って当事者に釈明をさせ、訴訟を指揮することができ、右釈明権及び訴訟指揮権の行使の違法を主張する当事者は、当該訴訟手続を争う方法として民事訴訟法上認められている不服申立手続に従って不服の申立てをすべきものである。このような不服申立てとは別に、右釈明権又は訴訟指揮権の行使が違法である旨を主張して、当該裁判長の過失を理由に国家賠償の請求をすることは、当該裁判長が当事者に損害を加える目的で、故意に違法な釈明権又は訴訟指揮権を行使したなど、当該釈明権又は訴訟指揮権の行使が実質的に見て司法権を担う裁判長の釈明権又は訴訟指揮権の行使であると認めることのできない特別の事情がない限り、許されないものというべきである。裁判長の釈明権又は訴訟指揮権の行使について、その違法性を争う手続として民事訴訟上認められた手続とは別に、それが違法であることを理由とする国家賠償の請求を一般的に認めることとすれば、その国家賠償請求訴訟において、当該民事訴訟事件の処理とは別途の観点から、当該民事訴訟事件におけるあるべき釈明権ないし訴訟指揮権の内容がどうであるかを議論することが一般的に許されることとなり、当該民事訴訟事件を担当する裁判官の職務の独立を害することとなるからである。

右見解に基づいて考えると、原告の前記1の主張は、当該釈明権又は訴訟指揮権の行使が実質的に見て裁判長の釈明権又は訴訟指揮権の行使であると認めることのできない特別の事情が存在するとの主張立証がないから、理由がないものというべきである。

3  のみならず、乙第九ないし第一二号証によれば、本件損害賠償事件においては、本件調停事件において成立した調停条項に原告主張のような事項を記載しなかった問題点があるかどうかという争点に焦点を合わせた審理がなされ、その争点について、原告の主張に反する認定がなされて判決が確定している事実が認められるから、この点から見ても、原告の前記1の主張は理由がない。

三  以上のとおりであるから、原告の請求は、損害について判断するまでもなく理由がない。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森髙重久 裁判官古河謙一)

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